法話
Shorinji Kempo

2022-9-3 「守主功従」「不殺活人」

2022-9-3 「守主功従」「不殺活人」

今回の学科学習は、少林寺拳法の六つの特徴の中から「守主功従」と「不殺活人」です。

前回の「力愛不二」は、相反するものの調和を述べた少林寺拳法の基本的な考え方を表し、「拳禅一如」は、体と心を同時に鍛えていく少林寺拳法の修行の在り方を表しています。

それを踏まえて、「守主功従」は、少林寺拳法の運用原則を表しています。守りが主で、攻撃はそれに従うということ、つまり、少林寺拳法の技を使うような場面では、先ず受けから始まり、反撃するように組み立てられています。

これは、仏教の正しい教えを守ったり、身を護る為に先に手を出していけないという精神的な理由があります。もう一つは、護身術として負けない体勢をつくって、相手を制する機を捉えるという技術的な面もあります。

「不殺活人」も少林寺拳法を使用するときは、相手を殺傷するのではなく、活かすという事です。むやみに傷つけたりせず、身を護り、他人を助ける為に運用しなければなりません。

文字を逆にして、「不活殺人」と書いてはいけませんよ

2022-8-27 「拳禅一如」「力愛不二」

2022-8-27 「拳禅一如」「力愛不二」

毎週土曜日は、学科学習を行っています。

今回は、少林寺拳法の六つの特徴から「拳禅一如」「力愛不二」です。

「拳禅一如」の「拳」は体(身体)を表し、「禅」は心(精神)を表します。

「一如」は、異ならないこと。一体であることという意味です。

つまり、体と心は切り離すことが出来ず、一体であるという事です。

身体と精神を分ける事が出来ないとするならば、修行をする際も身体と精神は同時に修行した方が良いのではないでしょうか?

金剛禅(少林寺拳法)の修行の在り方は、体と心の両面をバランス良く修行していくことを目指します。そしてその様な学習方法が準備されています。

因みに「心身一如」(「身心一如」も有るようです)と言う言葉があります。これは仏教用語のようですね。

心身ともに充実していること。 物事に一心に集中しているさま。 また、身体と精神は一体であって、分けることはできず、一つのものの両面にすぎないという仏教の考え。

「力愛不二」の「力」は力が強いの意味だけで無く、権力、経済力、武力なども含みます。「愛」は慈愛、慈悲という意味です。

「不二」は、二つに異ならずと言う意味で、二つに見えて実は一つであること。ただ一つであること。

「力と愛」は正反対のように思えるが、この二つを調和することが大切となる。

誰かを助けたいと思っても、自分に助けるだけの「力」が無いと助けることができない。

一方、自分の欲望のまま、「力」を使うのは、単なる暴力になってしまう。

権力や地位など「力」を持つ者は、その「力」を行使する際は、他の者を思いやる「心」が必要となる。

(ドラえもんのジャイアンの様になってはいけない。但し、ジャイアンも映画になると優しい心を発揮して、「力」を行使しているようですね。)

「力愛不二」は、金剛禅(少林寺拳法)の目指す在り方を表しています。

「拳禅一如」は、その為の修行方針を表しています。

我々は「力」と「愛」の相反することの調和を求めて、「体」と「心」の両面同時に「行」として、修行していくのが金剛禅です。そして、その修行方法として、少林寺拳法を行っています。

2022-7-21 法話 「自立と自律」

2022-7-21 法話 「自立と自律」

夏休みが始まりましたね。夏休みの間に何をしましょう?

夏休みの間に、皆さんにやってみて欲しいことがあります。

それは、「じりつ と じりつ」です。

漢字で書くと自分で立つと書いて「自立」

もう一つは、自分を律すると書いて「自律」です。

「自立」は、自分で出来ることは自分でやってみる。という事です。

何でもかんでも「お母さん やって〜」では無くて、自分で出来ることはやってくださいね。

もう一つの「自律」は、「やるときは、やる!」ですね。

夏休みとなると、どうしても時間がルーズになってしまいます。時間を決めて、宿題をする時はしっかり勉強してください。遊ぶ時は、しっかり遊んでください。お手伝いをする時は、お手伝いしてください。

小学校1年生にとっては、難しいかもしれませんが、出来るところから挑戦してみて下さいね。

少林寺拳法の大会の目的

 少林寺拳法の大会の目的は、主に3つあります。

 一つ目は、「技術研鑽」です。他の所属の拳士の演武や技術を見る事によって、得られる物は多いと思います。また、現在の自分の技術レベルがどの程度なのかを客観的に測り、そこから次への課題や目標を定めて、日々の修練に活かしていく。
 二つ目は、「連帯感」です。大会を成功させようと皆が協力することで、他の所属との交流や一体感が生まれるのではないでしょうか?少林寺拳法を行っている仲間がいることは、大変励みになります。
 三つ目は、「正しく知ってもらう」でしょうか?外部へのアピールということです。協力したり賛同して下さる方や、まだ少林寺拳法を知らない方へ、正しく少林寺拳法の事を知ってもらう良い機会になると思います。
 少林寺拳法の大会は、1位、2位など順位を競うことを目的としていません。少林寺拳法を修行する目的が、強い選手を育てる事では無いからです。世の中の困難に打ち勝つ様な、しなやかで真に強い自己を身につけ、社会に貢献できる「人を育てる」事が目的だからです。大会も少林寺拳法の修行の一つの課程です。

他の失敗を喜ぶ心理を考察

他の失敗を喜ぶ心理を考察

 他の団体の話しなのですが、子供が他の人が失敗したのを、自分なら失敗しないと、失敗したことをはやし立て喜んでいたそうです。これをどの様に指導したら良いやら?という相談です。

  他の失敗を喜ぶ心理を考えると、多分、他人と自分を比べて優位に立ちたいのだと思います。自分の自信の無さの表れだと考えられます。もしかしたら、失敗すると怒られているのかもしれません。他人と比べての優劣だけの価値判断となっているのかもしれません。

 しかし、その基準でいくと、その裏返しで自分の失敗は絶対認めたくないと思ってしまいます。失敗したことを認めてしまうと自分は価値の無い者になってしまいます。これはかなり苦しい事です。また、これでは自分の成長には結びつきません。失敗しないようにして、確実にできることしかしなくなるでしょう。失敗するかもしれないことは、怖くてチャレンジはできません。

 初めてやることを一度も失敗しないでできたら天才です。人から学ぶ必要はありません。自分一人で独学で進んでいってもらえれば良いと思います。しかし、普通はそうはいきません。失敗して当たり前です。また、自分では完璧と思っていても他の人から見たら、まだまだな点が多くあると言う事はよくあることです。天狗になっていると見えるものも見えなくなってしまいます。

 上手くなりたいと思ったり、何か身につけたいと思ったら、謙虚に先生や先輩、指導者に自分の欠点を指摘してもらわなければ上達しようがありません。独りよがりや自己満足だけで良いなら、それ以上の発展は無いと思います。

 他の失敗をはやし立て喜ぶような人が、指導するような立場にまで上達するとは思えませんが、仮にその様な立場になっても、誰も付いてきてくれないでしょうね。指導するには、失敗を指摘するだけでなく、それを解決する方法を提示する必要があります。その様なスキルを身につけることができていないでしょうから上手くできるはずはありません。指導者としては失敗となります。

 上手くいったから良くて、失敗したら駄目な奴という価値判断を改めないかぎり、いくら他人の失敗を喜んだらいけないよと指導したり叱ったりしても効果は無いと思います。他人の痛みが分かるような人になりなさいと諭しても、その様な基準が無いのだから改めようが無いでしょう。

 他人(ひと)の助けになり、役立つ人間を育てるのが、金剛禅の少林寺拳法の目的です。その為に少林寺拳法を通して自己研鑽し、自分を高める修行を行っていく。これが金剛禅の宗門の行としての少林寺拳法の在り方です。決して、技が上手いとか段位が上だから偉いなどの価値基準はありません。

仏教とは何でしょうか? 仏教の世界観「どの様に生きるか?」

仏教とは何でしょうか? 仏教の世界観「どの様に生きるか?」

 仏教の世界観は、「諸行無常」と「諸法無我」の言葉に集約されます。「世の中は、変化し続けていて、更に相互に作用し合っている」という事です。

 「諸行無常」は、「世の中のありとあらゆる物は、移り変わっていくものである」という事です。絶対に変化しない物は無いと言う事です。動かないと思う大地も地球の地殻変動で大山脈になったり、海底に沈んだりします。空に瞬く星も誕生から消滅まで何百億年と長いですが終わりが訪れます。変わっていないと思える自分の体も新陳代謝によって自分を構成する物質は、数ヶ月で総て入れ替わってしまっているようです。昨日の自分と今日の自分、明日の自分は、構成する物質が違っています。記憶によって同じ自分であると認識しているだけです。つまり、仏教では、「諸行」総ての物は「無常」常に同じであることは無いと世の中を捉えています。

 もう一つ、「諸法無我」は、「総ての理(ことわり)は、相互に関係し合っている」という事です。独立して存在している物は無いと言う事です。リンゴが目の前にあるとします。このリンゴは農家の方が手塩にかけて育ててくれたのかも知れません。果樹園からここに運ばれるまでには運搬する人、市場の人、お店の人、買ってきた人など沢山の人が関わっています。リンゴの実がなるためにも、土や肥料、水、お日様、気候など様々な要因が作用しています。自分が今あるのも家族が居て、友達との関係、先生や先輩からのアドバイス、地域の文化や伝統、気候風土などからも何かしら影響を受けて、自分が成り立っています。つまり、仏教では「諸法」総ての事柄は、「無我」自分一人で完結していることは無くて、相互作用の結果であると世の中を捉えています。

 仏教では、「諸行無常」と「諸法無我」の働きを「縁起の法則」として説明しています。「因」とは、「原因」であり、「縁」とは「ゆかり」のことです。「一つの結果には、必ずそうなるべき原因に、そうならさせた縁由が加わって、そうした結果が生まれる。」単純に、原因と結果が直結してある訳では無いという事です。「縁」は、「原因」を助けて結果を生じさせる間接的な力と言うべきものです。

 「諸行無常」と「諸法無我」に「涅槃寂静」を加えて、仏教の三法印と言います。更に「一切皆苦」を加えて四法印と言う事もあります。仏教の教えである証としてこの三法印または四法印が説かれています。

 金剛禅 少年読本 22ページ 「釈尊の正しい教え」には、次のように上記を説明してあります。

以下転記———( )内は感想を追記——-

 釈尊の正しい教えとは何でしょうか。

 釈尊のいた時代も今も、世の中は、苦しいことや悲しいことで満ちあふれています。少しぐらい楽しくても、すぐに何かの問題にぶつかり、迷うことばかりです。(「一切皆苦」の説明かな)そんな不安な自分ではなく、安心できる自分になり、喜びあふれた幸せな毎日を送るにはどうすればよいのでしょうか。(「涅槃寂静」のためにはどうしたらよいか?との問ですね)

 釈尊は、そのためには、人間としての正しい行いをして、心の迷いを取り除き、自分の中にある素晴らしい可能性に目覚め、自分を拠り所とできる身心共にたくましい人間になることであると解きました。(四諦と八正道のことですね)これが、釈尊の自己確立の教えです。(自灯明、法灯明 金剛禅の「自己確立」の説明)

 さらに釈尊は、この宇宙のすべてがかかわりながら変化し続けているいう法則に気づきました。(「諸行無常」と「諸法無我」)そして、この世界は一人では生きていけないものであり、たくさんの人たちと力を合わせて、お互いにに仲良く生きていくものであることを説きました。(金剛禅の「自他共楽」の説明)

————————————————————

短い文章の中で、四法印が説明され、実践方法である「四諦」と「八正道」にも触れています。

仏教は、生きていく上で出会う悩みをどの様に解決して、より良い人生を生きるか?

「どの様に生きるか?」の問いかけですね。

仏教とは何でしょうか? 先ずは簡単に歴史から

仏教とは何でしょうか? 先ずは簡単に歴史から

 仏教の開祖は、お釈迦様です。お釈迦様は、2500年ほど前の(紀元前500年頃)インド北部のシャカ族の王子として生まれましたが、「老、病、死」の現実と生きる意味について悩み、妻子をおいて、30才の時に出家されました。厳しい修行に明け暮れましたが、悟りを得ることができませんでした。そこで、それまでの苦行を止め、菩提樹の下で座禅を始めました。瞑想中に次々と悪魔(迷い)が現れたましたが、それを退け、ついに悟りを開くことができました。35才で悟って80才で亡くなるまでの間、インド中を旅して、人々に説法をして仏教を広めていきました。

 お釈迦様の死後、弟子達が、お釈迦様の言葉を持ち寄って、編纂会議を行いました(仏典結集)。それをそれぞれの弟子達が口で伝えていきました。死後100年頃、段々と解釈に違いが出てきた為、2回目の仏典結集が行われましたが、教義の解釈によって上座部と大衆部の二つに大きく分裂しました(根本分裂)。文字で記録されるようになったのは、お釈迦様が亡くなってから200〜300年たった頃だと言われています。それがお経の始まりです。この頃に積極的に人々の救済を行う大乗仏教が起こり、急速に広がり始めました。西暦100年頃には中央アジアを経て中国にまで伝えられました。

 西暦500年頃、中国で達磨大師が、禅宗を起こしたと言われています。達磨大師は、南インドの王子として生まれ、お釈迦様と同じ様に出家して座禅の修行をして悟りを開きました。達磨大師は、中国に正しい教えを広める為に旅し、梁の国の武帝と面会しました。武帝が「私は、お寺を建て、お経を書き写し、僧侶を大切にしています。どんな御利益がありますか?」と尋ねたのに対して、「何も無し」と答えて、武帝の怒りをかいました。仏教は、御利益を求めるようなものでは無いと説いたのに理解を得ることはできなかったようです。その後、崇山少林寺に入り、洞窟の壁に向かって九年座禅を続けました。その噂を聞きつけた人々が教えを聴きに集まり、その後中国に禅宗が広まりました。その後中国を統一した隋の頃、日本では、聖徳太子により国を治めるために仏教を国策として導入しました。(聖徳太子以前にも仏教は朝鮮半島より伝えられいたようですが、国の統治や隋など大国と付き合うためにも仏教が必要だったようです。)

 西暦600年頃、中国の唐の時代、玄奘がインドまで旅して沢山のお経を持ち帰り、中国語に翻訳しました。玄奘は孫悟空が活躍する西遊記にでてくる三蔵法師のモデルになった人です。ただ、その頃のインドでは、既に仏教が廃れてしまっていて大変苦労して仏典を集めたようです。玄奘が翻訳したお経は、平安時代に最澄によって多く日本にも伝えられました。最澄は比叡山延暦寺の開祖です。同じ頃、日本に密教を伝えたのが弘法大師(空海)ですね。密教は、インドで廃れ始めた仏教がヒンドゥー教を取り入れ、その土地の慣習などとも混ざり合って発展したものです。

 日本の鎌倉時代には、浄土宗、浄土真宗、日蓮宗などが民衆に広まりました。それまでの仏教は、国を治めるために導入した経緯から貴族中心の鎮護国家が目的でしたが、世の動乱で民衆の救済が求められ、念仏など易しい教えが説かれました。また、臨済宗と曹洞宗という二つの禅宗が、相次いで中国からもたらされ、力を付け始めた武士の間で広まりました。

 江戸時代の初め、宗教管理を目的に、寺院諸法度を制定し、寺社奉行を置き、キリスト教の禁教と仏教の取り締まりを行いました。また、人々を必ずいずれかの寺院に登録させるようにし民衆の戸籍管理を目的に檀家制度が導入されました。これで、人々は、自由に宗派を変えることができなくなり、寺院も自由に布教をすることができなくなるかわりに幕府から保護される事になりました。戦国時代には、織田信長の延暦寺の焼き討ちや長島一向一揆、石山合戦などが有名ですが、仏教徒の力を削ぎ管理下に置くことが必要だったのだろうと考えます。

 明治政府が成立すると、新政府の神道重視の政策が行われ全国で廃仏毀釈運動が行われ、寺院数が減少しました。それまでは、お寺の中にお社があったり、神社の中にお寺があったりと緩やかに住み分けていましたが、ハッキリと分離されることになりました。檀家制度や廃仏毀釈で、仏教の本来の教えや力が失われ、忘れ去られようとしていました。

 現在では、仏教の見直しが行われ始め、見直されてきているようです。そんな中、1947年宗道臣によって日本の香川県多度津町にて金剛禅総本山少林寺が創始されました。金剛の肉体と不撓不屈の精神を養成し、まず、よりどころとするに足る自己を確立し、そして他のために役立つ人間になるために努力していこうと言う教えであります。その主たる修行方法として「少林寺拳法」を行っています。

 簡単にと言いながら、かなり長くなってしまいました。

失敗してもいいよ!

「失敗してもいいよ!」

拳士達には、そう呼びかけています。

前にも書いたかもしれませんが、繰り返し繰り返し、

「この道院の中では、どんなに失敗してもかまわないよ!」

「失敗するのは嫌かもしれないけど、始めて習ったりする事は、失敗して当たり前」

「一番行けないのが、やる前から、諦めてしまうこと」

「どうせできない」とか「やっても無駄」など

「チャレンジする前から諦めるのは、自分の可能性を自分で潰してしまっている」

「そんなのが、(私が)一番嫌い」

・・・・

 失敗するのは誰で嫌だし、避けたいと考えるが、失敗することを極端に恐れている人が多いような気がします。道院内では、失敗を恐れずにチャレンジして欲しいと思います。その中から小さな成功体験が得られれば最高です。できなくてもチャレンジした経験は得られます。悔しさや至らなさへの反省などです。

 失敗してもチャレンジしてみる事は、自分の可能性を信じていることになります。やれば出来るかもしれない。それがダーマを信じるという事では無いでしょうか?

 繰り返しになりますが、道院内では何度失敗しても構いません。出来るようにするのが、指導者としての自分の役割です。出来ないのであれば指導者としての私の失敗です。まだまだ精進が足りてないのでしょう。反省の日々ですね。

鎮魂行について(後編)

 

鎮魂行について後編です。

*「経典」と「教典」の違い

 金剛禅では、「経典」と書かずに「教典」と書きます。

 一般の仏教のように「経典」としないのは、釈尊の教説(経)をまとめたものばかりでは無いからです。金剛禅の「教典」は、「拳禅一如」の修行を通して「金剛禅」の目的である「自己確立」と「自他共楽」の「理想境」実現に向かうために開祖が定めた規範、教えです。だから、教えが書かれた物として「教典」なのです。

*「教典」の成り立ち
 金剛禅の「教典」は、「聖句」「誓願」「礼拝詞」「道訓」「信条」から成っています。
「礼拝詞」は、“金剛禅を信じ行っていきます”という宣言となっています。
「誓願」は、修行を行っていく上での信念、誓いの言葉となっています。
「聖句」は、修行実践の原則となり、開祖が仏教経典の「法句経」から金剛禅の修行に相応しいものを選んだものです。
「信条」は、日々の生活の中での実践の大要を示し、「道訓」は、その具体的な内容を指示したものです。
 
*鎮魂行を行う意味合い
 金剛禅の教えは、道院の中だけでは無く、日常生活の中に活かしてこそ、実践していると言えると思います。毎回の修練の際に「鎮魂行」で「教典」を皆で唱和し、挫けそうになる自分を奮い立たせ、「自己確立」と「自他共楽」の平和で豊かな「理想境」実現に向けて自己を修め、皆で実践していく誓いを立てています。

鎮魂行について(前編)

少林寺拳法の修練時に鎮魂行を行っています。

鎮魂行を行うのには、どんな意味があるのでしょうか?

*修行の中での鎮魂行の位置づけ

 金剛禅の修行は身心一如です。人間の肉体と精神は別々のように見えても、別々では無く、一つものです。つまり肉体だけを鍛錬しても真の人格は完成しないし、肉体を無視した精神修養だけでは、真の安心は得られないという事です。

 そこで、金剛禅では、少林寺拳法(易筋行)を主たる「行」として修養し、健康な肉体と、健全な精神とのバランスのとれた自己の確立を目指しています。

 そして、少林寺拳法(易筋行)の修練とともに必ず行う事になっている大切な修行の一つとしてと「鎮魂行」があります。

*鎮魂行で唱和する効果について

 「鎮魂行」は、座禅を行いながら、金剛禅の「教典」にある教えを皆と共に唱和し、人としての在り方や修行の心得を自分自身に説き聞かせて身心を整えていきます。ここでポイントになるのが、皆で唱和することです。声に出して音読していく事は、目、耳、口を動かします。声が合わさり響き合うことで、体に染みこんでいくような感覚になります。さらに自分に言い聞かせるだけでなく、そこに居る皆が、お互いに確かめ合い、同じ目的に向かっている仲間としての結びつきが強くなるように思います。

*鎮魂の意味など

「鎮魂行」の「鎮魂」は、“亡くなった方の魂を鎮める”意味では無く、“自己の魂を鎮める”すなわち心を修め整えるという意味です。

後半に続く・・・