法話
Shorinji Kempo

◇このコンテンツは少林寺拳法グループ関連団体についてのコンテンツです

2024-11-1 あ・うん voL.97 道院長 元気の素

あ・うんの記事を書かせてもらいました

金剛禅総本山少林寺広報誌

あ・うん voL.97 2024霜月・師走

道院長 元気の素

設立時の苦労

1996年、能登七尾支部道場の正認証を頂いたのは30歳の時です。金沢卯辰山道院からの独立でした。当時の安田嘉昌道院長(現:加賀かけはし道院長)と当時の梅岡和也道場長(元:金沢南道院長)、当時の加藤善成助教(現:金沢卯辰山道院)の後押しがあっての挑戦でした。まだまだ指導者としての自信も無く、週末毎に七尾市から80km離れた金沢卯辰山道院に通い、修練に参加させてもらっていました。

2007年に能登七尾道院へ移行し、2009年に現在の専有道場が完成し道場開きを行いました。運良く自宅近くに土地があり、建築関係の仕事をしている親戚に頼んで格安で建ててもらいました。基礎からしっかり工事してもらったおかげで、能登半島地震でもビクともしなかったようです。

指導の方針

子供たちには、「算数が得意」、「歌が上手い」、「足が速い」など、何でも良いので自信を持ってもらいたいと考えています。できれば少林寺拳法を通して自信を持ってもらいたい。「独りで帯が結べた」など簡単なことでも構いません。この積み重ねが自己肯定感に繋がり、頼りにできる自分の基礎が作られると考えます。自分を信じられる心、自信がなければ、他の人に優しくすることもできないと思います。その上で、自立と自律ができて、仲間と協調できる子を育てることが目標です。「強くて優しい子に育つ!」を目指しています。

一般部には、「本当の強さ」「究極の強さ」を身につけよう!と話しています。今、多くの人たちが自分を取り巻く環境に不安を抱いています。激しく変化する時代に、しなやかに対応できる自己を作り上げていくこと、「しなやかな”ココロ”と”カラダ”づくり!」これが究極の強さだと考えます。

修練時の声掛け

連続複数法形修練を取り入れ、左右とも修練するようにしています。連続した動きに戸惑ったり、左側の動きがぎこちなかったり、「先生が一番、下手だな!」「ううん、なかなか上手くいかないな〜」など、自分が失敗したこと、上手くいかなかったことを素直に口に出しています。そして、道院内では、「失敗しても良いよ!」と声を掛けています。

拳士たちには、失敗を恐れずにチャレンジして欲しいと思います。その中から小さな成功体験が得られれば最高です。できなくてもチャレンジした経験は得られます。悔しさや至らなさへの反省などです。失敗してもチャレンジしてみることは、自分の可能性を信じていることになります。やれば出来るかもしれない。それがダーマを信じるということではないでしょうか?

全国の拳士へのお礼

2024年1月1日、能登半島地震が起きました。石川県七尾市も震度6強と激しく揺れ、自宅も玄関先が歪んで今でもしっかりとは閉じなくなりました。瓦も少し歪んだようで修理が必要です。断水も2月半ばまで続きました。ここで少林寺拳法の団結力と行動力に驚かされましたが、すぐに全国から励ましの電話やメールが届き、支援物資までも送ってもらったり、届けてくれたりしました。ありがたい限りです。頂いた支援物資は、困っている拳士や近所の方などにお配りしました。

また、能登七尾道院の建物は無傷だったので、「道院開けないのですか?」との拳士からの要望もあり、2月から1ヶ月遅れで新春法会を行い、修練を再開することができました。それまではどこか緊張した日々だったのですが、修練再開が日常を取り戻すきっかけになったような気がします。

今まで当たり前に行えていたことが出来なくなるのは、本当に辛くなります。「脚下照顧」足下を照らして反省するという意味もありますが、もう一段深く考えると「当たり前と考えていることは、本当に当たり前なのか?」「本当は、とても恵まれているのではないか?」日々の当たり前が失われて初めて気付かされることがあります。

最後に全国の拳士の方々から少林寺拳法グループを通じて義援金を頂きました。一部を能登地区の全拳士に配布し、残りは七尾市をはじめ志賀町、穴水町、能登町、輪島市、珠洲市に寄付されました。ありがとうございます。まだまだ復興途中で、全国からボランティア活動として来県される拳士の方もいると思います。奥能登に出向く際は、七尾市を拠点として頂くと良いかもしれません。その際はお声を掛けてください。

2024-9-23 最後の班別討議

2024-9-23 最後の班別討議で班の代表として皆の前での発表者になりました

その時の発表の内容を覚えている範囲で書いてみました

—–以下—-発表内容—–

討議Ⅲ  3年後に少林寺拳法をどのように盛り上げるか
9班 発表者 織平
討議のテーマとして、多くの人で創始80周年を祝おう!
その為には、多くの人を巻き込んでいく方策を考えていく
ただ、いきなり新入門を増やそうと言っても難しそうだ
休眠拳士を掘り起こすのは、どうか?
具体的なアイデアとして、休眠拳士へのアピール方法として あうん を送ってみるのはどうか?
また、SNSなどで名前を見かけたら、『元気か』と声をかけてみる などはどうか?
そして、現役拳士こそ、魅力を伝えて継続してもらおう
どうしても、中学、高校に進級するタイミング、就職し社会人になるタイミングで休眠する者も多いので、継続してもらう働きかけを考えてみる
例えば、帰山行事などで道院内の気持ちや雰囲気を盛り立てる
本山での技術講習会などに皆で参加して、本山の魅力、全国の拳士と仲間になり、繋がりを持っ楽しみを知ってもらう
今回の合宿でも、とても楽しかった
これを現役拳士にも体験してもらいたい
この様にして、各道院が楽しく活動していれば、外部にも魅力をアピールする事につながり、自然と新入門も増えるのではないだろうか
多くの人で創始80周年を祝おう!

2024-9-22 法話演習

2日目には法話演習がありました

事前に話す内容をまとめて グループ内で10分の持ち時間で発表です

事前に作ったレジュメは殆ど読まないで、内容は同じですが、具体例を入れながら10分話しきりました

ホッとしました

以下は事前に作ったレジュメを載せておきます

——以下——レジュメ——–

自己の可能性を信じるとはどういうことか?

中堅道院長“鍛錬”特別合宿  法話演習課題

2024年9月22日

能登七尾道院  織平秀一

  1. 自己の可能性を信じることの意義 〜可能性の種子を養う〜

「ダーマ」の分霊たる自己を磨き、その力を発現させる  「ダーマ」の働きを信ずる

・「自己の可能性を信じる」=自分自身が持っている力や成長する力を信頼すること

・少林寺拳法を修行することで、私たちは自分をより良い方向に変える力を養っている

・体と心を修行するのは、この力を引き出し、人間として成長するため

 

  1. 自己の可能性を信じる第一歩 〜諦めないことの大切さ〜

自己の可能性を信じることは、簡単には諦めない心を持つことでもある

・技がうまくいかない時や、何度も挑戦しても成功しない時、そこで諦めてしまうのはもったいない

・継続して努力することで、最初はわずかだった成果が大きな違いを生むことがある

・チャレンジし続けることで、自分の可能性を広げていけるかもしれない

・継続は、自分の可能性を信じると言う事、簡単に自分で自分の可能性を諦めてはいけない

・ある程度、続けてみて、ダメだったらその時に諦めても遅くないような気がする

・初めからできないと諦めてしまうのは、もったいないと言っているのです

 

  1. 自分の可能性を信じることが自信の源 〜自信を育てるには?〜

少林寺拳法は、「自信と勇気と行動力」のある「本当の強さ」を持った人を育てるとある

では、「自信と勇気と行動力」の最初にある「自信」を身につけるには、どうしたら良いか?

・「自信」を身につけるには、小さなチャレンジを行い、その小さな成功体験が大切

「帯を自分で結べるようになった」、「昇級試験に合格した」「この技ができた」などなど

・小さな成功体験の繰り返しと、「頑張ったね」「良かったね」と言ってもらえる承認体験が重要

・この小さな自信があると、初めての事でも挑戦してみようと勇気が湧いてくる

・この小さな勇気があると行動に移すことも出来きる。例え、行動した結果が失敗しても、もう一度チャレンジしてみようとなる。または、別の方法を試してみようと切り替えることができる。

・小さな成功体験は何でも良いが、せっかく少林寺拳法を修業しているのだから少林寺拳法を通して自信を持ってもらいたい。

・道院では、失敗を恐れずチャレンジすることを大切にしている。失敗しても、それを乗り越えることができれば、それが次の自信に繋がる。失敗は終わりではなく、成功への一歩と捉える。

・何度でもチャレンジでき、上手くいったときは皆で喜び合える場が道院

 

  1. 「自己確立」と「自他共楽」 〜他人のためにも生きる〜

自己の可能性を信じ、勇気を持って行動することで、自分自身が成長するだけでなく、他人にも良い影響を与えることができる。少林寺拳法の修行を通じて、自己の成長だけでなく、他の人々のためにも貢献できる人間を目指すことが目標

2024-5-9 開祖忌法要

2024-5-9 開祖忌法要を執り行いました

法話として
今日は、自分が本当に、開祖の指し示してくれた自己確立、自他共楽の修行に邁進しているか?
振り返る時間でもあります
挫けそうになった時は、道院に集う仲間がいます
自戒を込めてお話しをしてみました

2024-2-8 2024年新春法会

2024-2-8(木)1ヶ月遅れで、
能登七尾道院 2024年新春法会を執り行いました。
震災後、元気な顔が見られて、ホッとしたのと同時に元気をもらうことができました。
一歩一歩ではありますが、出来る事から初めて行きたいと思います。
 
年頭挨拶
今年は、元旦早々から震災で大変なスタートとなってしまいました。
新春法会も1ヶ月遅れとなってしまいました。
でも、こうやって皆さんの元気な笑顔を見ることができて、ホッとすると同時に大変元気をもらうことができました。
まだまだ、大変な状況が続いているのに変わりは有りませんが、当たり前の日常を取り戻すために、もう少し皆で踏ん張っていきたいと思います。
前に高段者の先生がおっしゃっていたお話を思い出しました。「脚下照顧」の意味は知っていますね?
そう、「靴を揃える」と習っていますよね。一般の方は「足下を照らす」「足下を見つめ直して反省を忘れずに」と言う意味ですよね。
その先生は、もう一段、深い意味が有るよと教えてくださいました。
”自分の足下、即ち、「日常」「常識」「当たり前」だと思っていることが、「本当に不変で当たり前か?」という問いかけである”と
「当たり前」だと思い込んでいる常識が根底から覆った時、どの様に行動出来るか?どの様に対処できるか?
難しいかもしれないが、心構えが必要である。と
今回の震災は、これが現実となり、突きつけられました。どの様に行動するか?今までの修行が試されているのだと思います。
本来であれば、年頭のあいさつとして、今年の抱負や方針などを話すべきなのでしょうが、震災を体験して考えた事を話してみました。
少しづつ日常を取り戻していくように皆で頑張って行きましょう。

2023-10-26 法話 まだまだ復興途中

2023-10-26 法話 まだまだ復興途中

この前、珠洲市に行ってきました。今、奥能登国際芸術祭が開催されています。

現代美術を旧小学校とか旧家など町中や畑の中など珠洲市全域に展示されています。

町中を回りながら気が付いたのですが、時々玄関先に「倒壊注意」の張り紙がありました。

奥能登地震から半年以上経ちましたが、まだ、改修工事などが追いついていないようです。

まだまだ復興途中なのだと実感しました。

2023-10-14 法話「何で突きと蹴りの練習をするの?」

2023-10-14 法話「何で突きと蹴りの練習をするの?」

この前、鋭い質問がありました。(少年拳士Aから)

「何で突きと蹴りの練習をするの?」

「暴力は駄目と言いながら、何で?」

さて、皆さんは何でだと思いますか?

「自分の身を護るため!」(少年拳士B)

正解! これも鋭い答えですね

少林寺拳法は護身術でもあります。自分の身を護るために使うのですよね!

ただ、護身術を身に付けるためには、実際に突いてもらったり、蹴ってもらったりしないと、いざという時に使えないかも知れませんよね。

なので、突いたり蹴ったりの練習も必要なのです。

自分が上手くなるためには、相手が正確な攻撃をしてくれないと困るのです。練習になりません。

また、初めから早くて強く鋭い突きや蹴りでは、受けきれないかもしれません。相手の能力に合わせて調整する必要もあります。

つまり、攻撃してくる相手は自分を上手にしてくれるパートナーです。自分が上手になるためには相手にも上手になってもらわなければなりません。

少林寺拳法で突きや蹴りの練習をするのは、相手を倒して、自分が一番になるためではありません。相手にも上手くなってもらう為に突き蹴りの練習をしていると言っても良いかもしれません。

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これは少林寺拳法の6つの特徴の中の「組手主体」に当たります。

空手でいう組手(乱取り、運用法)とは違います。

相手と相互に協力し合って修練する少林寺拳法の技法修練の特徴を表した言葉です。

2023-10-12 法話「2023年少林寺拳法世界大会に参加して」

2023-10-12 法話「2023年少林寺拳法世界大会に参加して」

2023年10月7日、8日と2023年少林寺拳法世界大会に審判員として参加してきました。

世界大会ですから海外からの拳士も沢山参加していました。

そんな中、自分が参加して一番感動したのが、例えば天地拳第一系なら、どの国の方も我々と同じ動きをしているということです。合掌礼をすると合掌礼を返してくれます。言葉が通じなくても、これだけで同じ思いを共有することが出来ます。

同じ基準で、あの演武はすごいぞ!と言い合えます。

これは素晴らしいことだと思いませんか?
これが、私の一番の発見であり、収穫だったように思います。

法話 「信じています」なかなかやる気がでない子に向けて

法話 「信じています」なかなかやる気がでない子に向けて

先生は、技が出来ないからと言って怒ったことはありませんよね

やらなければならないときに、サボっているときは、やりなさい!と叱ることはあります。

でも、出来ないからと怒ったことは一度も無いはずです。

何故かと言うと、皆さんが必ず出来るようになると信じているからです。

信じているから教えているのです。

皆さんは、良い方に変化する力を持っています。この変化する力が発揮できるように少林寺拳法で体と心を修行しているのです。

何もオリンピックの選手になれ、ノーベル賞をとるような学者になれ、等と言っているわけではありません。

少林寺拳法を通して、皆さんが人の役に立つような人間になるだろうと信じています。

皆さん、一人一人が良い方に変化する力、成長する力を金剛禅では「ダーマ」と言っていますね。

法話「自己中ってしっている?」

法話「自己中ってしっている?」

「自己中」って言葉をしっていいますか?自己中心的な考えをする人のことですね。略して「自己中」。他人の事はおかまいなしで、自分の事しか考えない人。自分さえ良ければ他人はどうなっても自分には関係ないと思っている人。

 自分を大切にすることは良いことですが、それだけでは、少林寺拳法の拳士としては半分ですね。「半ば自己の幸せを 半ば他人(ひと)の幸せを」です。「自己中」ではいけないのです。他人(ひと)の事も考えて行動出来る人が少林寺拳法の拳士なのです。

 実は「自己中」の反対もダメですね。「自己が無い人」です。他人が良いと言ったら、自分で善し悪しを考えもしないで他人の言うままに行動してしまう人。「自己無し」もダメなのです。自分の考えを持たない人も少林寺拳法の拳士としては半分です。

 

ここまでは、法話で話をしました。

この続きもあるのですが、少し触れたいと思います。

 他人(ひと)の事を考えて行動するのは良いことなのですが、自分の事を全部犠牲にしてまで行動するのも極端な気がします。自分の及ぶ範囲、コントロール出来る範囲で他人(ひと)の事を考えて行動することが大切な気がします。

 また、自分の考えに囚われすぎて、自分の考えを改められないのも困ったものです。

 どちらもバランス感覚なのでしょうか?「自己確立」「自他共楽」の修行を行っていく意義がここにあるのかもしれません。