法話
Shorinji Kempo
書き初め「跳躍 飛躍」
2022-11-5 あうん No.85 かんがえてみよう やってみよう
2022-11-5 あうん No.85 かんがえてみよう やってみよう
チャレンジ1 「道院長のセリフをなるべくたくさん作って見よう」
「髪の毛が長いし乱れている」
「道着はキチンと着よう」
「ペンダントは危ないから外そう」
「脱いだ物はたたもう」
「(道院長の)顔を見て話そう」
チャレンジ2 「あなたはこの世界がどんな世界になってほしいですか?それはなぜですか?」
「日本が平和なら良いな!」
世界が平和でないと日本だけが平和ってことは難しいかもよ
日本がその気が無くても、ロシアの様に攻めてくるかもしれないよ!北朝鮮がミサイルを撃ってくるかもしれないよ!
と話したら、皆で考え込んでしまいました。もう少し黙っていて、話の展開を待っていれば良かったと反省しています。
2022-9-25_石川県教区研修会
2022-9-17 「剛柔一体」「組手主体」
2022-9-17 「剛柔一体」「組手主体」
「剛柔一体」は、剛法と柔法が一体となって少林寺拳法の技は構成されています。
剛法とは、突きや蹴りなど、柔法は抜き、逆技、投げなどです。
剛法と柔法は、どちらが優れているとかでは無く、一般に剛法に分類される技の中にも柔法的な要素があり、逆に柔法に分類されるような技の中にも合法的な要素が組み込まれていたりして、剛法と柔法はお互いに補い合ったり重なり合うことで、さらに効果を生んでいます。
剛法での体の使い方も柔法での体の使い方も共通する部分が多く、修練をしていたり、指導しているときに、「あっ、これは!」と気が付くことも多いです。まだまだ研究の余地がありそうです。
「組手主体」は、二人一組で、技を使う場合の相手との距離やタイミング、力加減など一人では修得できない事をお互いに伝え合いながら修練していきます。なので少林寺拳法の修練を行う時は二人一組で行う事が原則となっています。
技の上達のためには、お互いに協力していく必要があるのですが、これが協調性を養い、技の上達を通して、人格の向上をも目指しています。
「協力し合って上達する」これが少林寺拳法の修練の特徴です。
「組手」と言うと乱取りや試合でお互いに格闘しあうことが想像されることもありますが、少林寺拳法の修練では、乱取りなどが修練のメインではありません。修練で乱取りなどを行う場合もお互いに指摘しあって相互の技術の上達を目指します。どちらが勝ったか?優れているとかでは無いのです。
2022-9-8 あ・うんVol.84「かんがえてみよう やってみよう」
2022-9-3 「守主功従」「不殺活人」
2022-9-3 「守主功従」「不殺活人」
今回の学科学習は、少林寺拳法の六つの特徴の中から「守主功従」と「不殺活人」です。
前回の「力愛不二」は、相反するものの調和を述べた少林寺拳法の基本的な考え方を表し、「拳禅一如」は、体と心を同時に鍛えていく少林寺拳法の修行の在り方を表しています。
それを踏まえて、「守主功従」は、少林寺拳法の運用原則を表しています。守りが主で、攻撃はそれに従うということ、つまり、少林寺拳法の技を使うような場面では、先ず受けから始まり、反撃するように組み立てられています。
これは、仏教の正しい教えを守ったり、身を護る為に先に手を出していけないという精神的な理由があります。もう一つは、護身術として負けない体勢をつくって、相手を制する機を捉えるという技術的な面もあります。
「不殺活人」も少林寺拳法を使用するときは、相手を殺傷するのではなく、活かすという事です。むやみに傷つけたりせず、身を護り、他人を助ける為に運用しなければなりません。
文字を逆にして、「不活殺人」と書いてはいけませんよ
2022-8-27 「拳禅一如」「力愛不二」
2022-8-27 「拳禅一如」「力愛不二」
毎週土曜日は、学科学習を行っています。
今回は、少林寺拳法の六つの特徴から「拳禅一如」「力愛不二」です。
「拳禅一如」の「拳」は体(身体)を表し、「禅」は心(精神)を表します。
「一如」は、異ならないこと。一体であることという意味です。
つまり、体と心は切り離すことが出来ず、一体であるという事です。
身体と精神を分ける事が出来ないとするならば、修行をする際も身体と精神は同時に修行した方が良いのではないでしょうか?
金剛禅(少林寺拳法)の修行の在り方は、体と心の両面をバランス良く修行していくことを目指します。そしてその様な学習方法が準備されています。
因みに「心身一如」(「身心一如」も有るようです)と言う言葉があります。これは仏教用語のようですね。
心身ともに充実していること。 物事に一心に集中しているさま。 また、身体と精神は一体であって、分けることはできず、一つのものの両面にすぎないという仏教の考え。
「力愛不二」の「力」は力が強いの意味だけで無く、権力、経済力、武力なども含みます。「愛」は慈愛、慈悲という意味です。
「不二」は、二つに異ならずと言う意味で、二つに見えて実は一つであること。ただ一つであること。
「力と愛」は正反対のように思えるが、この二つを調和することが大切となる。
誰かを助けたいと思っても、自分に助けるだけの「力」が無いと助けることができない。
一方、自分の欲望のまま、「力」を使うのは、単なる暴力になってしまう。
権力や地位など「力」を持つ者は、その「力」を行使する際は、他の者を思いやる「心」が必要となる。
(ドラえもんのジャイアンの様になってはいけない。但し、ジャイアンも映画になると優しい心を発揮して、「力」を行使しているようですね。)
「力愛不二」は、金剛禅(少林寺拳法)の目指す在り方を表しています。
「拳禅一如」は、その為の修行方針を表しています。
我々は「力」と「愛」の相反することの調和を求めて、「体」と「心」の両面同時に「行」として、修行していくのが金剛禅です。そして、その修行方法として、少林寺拳法を行っています。
2022-7-21 法話 「自立と自律」
2022-7-21 法話 「自立と自律」
夏休みが始まりましたね。夏休みの間に何をしましょう?
夏休みの間に、皆さんにやってみて欲しいことがあります。
それは、「じりつ と じりつ」です。
?
漢字で書くと自分で立つと書いて「自立」
もう一つは、自分を律すると書いて「自律」です。
「自立」は、自分で出来ることは自分でやってみる。という事です。
何でもかんでも「お母さん やって〜」では無くて、自分で出来ることはやってくださいね。
もう一つの「自律」は、「やるときは、やる!」ですね。
夏休みとなると、どうしても時間がルーズになってしまいます。時間を決めて、宿題をする時はしっかり勉強してください。遊ぶ時は、しっかり遊んでください。お手伝いをする時は、お手伝いしてください。
小学校1年生にとっては、難しいかもしれませんが、出来るところから挑戦してみて下さいね。
少林寺拳法の大会の目的
少林寺拳法の大会の目的は、主に3つあります。
他の失敗を喜ぶ心理を考察
他の失敗を喜ぶ心理を考察
他の団体の話しなのですが、子供が他の人が失敗したのを、自分なら失敗しないと、失敗したことをはやし立て喜んでいたそうです。これをどの様に指導したら良いやら?という相談です。
他の失敗を喜ぶ心理を考えると、多分、他人と自分を比べて優位に立ちたいのだと思います。自分の自信の無さの表れだと考えられます。もしかしたら、失敗すると怒られているのかもしれません。他人と比べての優劣だけの価値判断となっているのかもしれません。
しかし、その基準でいくと、その裏返しで自分の失敗は絶対認めたくないと思ってしまいます。失敗したことを認めてしまうと自分は価値の無い者になってしまいます。これはかなり苦しい事です。また、これでは自分の成長には結びつきません。失敗しないようにして、確実にできることしかしなくなるでしょう。失敗するかもしれないことは、怖くてチャレンジはできません。
初めてやることを一度も失敗しないでできたら天才です。人から学ぶ必要はありません。自分一人で独学で進んでいってもらえれば良いと思います。しかし、普通はそうはいきません。失敗して当たり前です。また、自分では完璧と思っていても他の人から見たら、まだまだな点が多くあると言う事はよくあることです。天狗になっていると見えるものも見えなくなってしまいます。
上手くなりたいと思ったり、何か身につけたいと思ったら、謙虚に先生や先輩、指導者に自分の欠点を指摘してもらわなければ上達しようがありません。独りよがりや自己満足だけで良いなら、それ以上の発展は無いと思います。
他の失敗をはやし立て喜ぶような人が、指導するような立場にまで上達するとは思えませんが、仮にその様な立場になっても、誰も付いてきてくれないでしょうね。指導するには、失敗を指摘するだけでなく、それを解決する方法を提示する必要があります。その様なスキルを身につけることができていないでしょうから上手くできるはずはありません。指導者としては失敗となります。
上手くいったから良くて、失敗したら駄目な奴という価値判断を改めないかぎり、いくら他人の失敗を喜んだらいけないよと指導したり叱ったりしても効果は無いと思います。他人の痛みが分かるような人になりなさいと諭しても、その様な基準が無いのだから改めようが無いでしょう。
他人(ひと)の助けになり、役立つ人間を育てるのが、金剛禅の少林寺拳法の目的です。その為に少林寺拳法を通して自己研鑽し、自分を高める修行を行っていく。これが金剛禅の宗門の行としての少林寺拳法の在り方です。決して、技が上手いとか段位が上だから偉いなどの価値基準はありません。