法話
Shorinji Kempo

2023-6-15 法話 「短絡的な行動が気になる」

 自衛隊の発砲による死傷事件や闇バイトによる強盗事件など20才前後の若者のニュースを聴きます。「嫌いだから撃った」「金が欲しくてやった」など考えが無く、短絡的な行動が気になります。深く考えないで実行して、一生を棒に振ってしまっています。

 とても自分を大切にしていると思えません。自分を大切に出来ない人は、他人を大切にすることは出来ません。だから簡単に他人を傷つけたり、物を盗んだりするのでしょう。

 また、世の中は、そうそう自分の思い通りにはいきません。ゲームやアニメ、ラノベ小説の様に、何かアイテムを手に入れたら能力がアップすると言う事もありません。

 少林寺拳法を修練している人は、自分の可能性を信じている人だと思います。自分の可能性を信じている人は、自分を大切にしている人です。何故かと言うと、少林寺拳法の様な修得できるかどうか分からない技術を何年もコツコツと修練しています。自分は上手くなれるのだと自分の可能性を信じていなければ継続することは出来ないように思います。少林寺拳法の技は、昇級したからと言って直ぐに出来るようになるわけではないですよね。何回も何回も修練しないと身につきませんよね。

就職面接試験と拳士としての心得

本日の午前中に職場の就職試験の面接官をしてきました。

面接官が何を基準に見ているかと言うと、他者とのコミュニケーション能力や仕事を責任持って遂行できるか?自分から課題を見つけ努力していけるか?などです。

でも一番重要視しているのが、社会人として基本的な態度が出来ているかです。

で、本日の学科学習の範囲が、「拳士としての心得」でした。

「拳士としての心得」として

脚下照顧
作務
合掌礼
服装、態度、言葉遣いの6つを道院では、最初に習います。
これらが、出来ていれば、就職試験はOKかもしれません。学校の成績は良い方が良いでしょうが、学校の勉強が出来たかどうかは、採用の一番の基準にはなりません。
これらの心得は、道院での修行を通して少しずつでも身につけていって欲しいと思います。

2023-5-20 法話 「蜂の巣駆除」

道院の換気扇フードの中に 今年も蜂の巣がありました。 大きくなる前に駆除することができました。 ただ、蜂は生きる為に頑張っているだけですが、人間の都合で害虫だと駆除するのは人間の身勝手なのだろうなと考えてしまいました。

2023-5-18 三段允可状をお渡ししました

2023-5-18 三段允可状をお渡ししました。

三段合格までには、かなり努力してきましたので、本当におめでとうございます。

允可状は、合格証とは意味合いが違います。合格証はここまでの成果を証明する為の物です。しかし允可状は、「ここから三段の修行を許可します」という意味で、ここからが三段の修行のスタートです。二段の器がいっぱいになってきたので、三段という一回り大きな器を与えられました。この器をいっぱいにできるようにこれからの修行に励んで下さい。

2023-4-13 法話 「新年度が始まりました」

 

2023-4-13 法話 「新年度が始まりました」

新年度が始まりました。新しい学年となり授業も始まりましたね。

日本では、新しくスタート切るための区切りが、1月と4月の2回もあります。

お正月に、今年はどんな事を目標にしようかな?と新年の抱負を考えますね。でもなかなか始めるきっかけが無くて・・・。となっても大丈夫!

4月に新年度から改めてスタートを切ることができます。

さて、先ずは、次の昇級考試を目指して頑張ってスタートして行きましょう。

 2023-4-8 法話 「できないと諦めてしまうと、もったいない」

 

 2023-4-8 法話 「できないと諦めてしまうと、もったいない」

少林寺拳法で習う技は難しいものもありますよね。

何回やっても上手く行かない事もあります。

しかし、諦めて、止めてしまうと、少しもったいないかもしれません。

チャレンジしないで止めてしまうと、そこでストップです。

でも、そこで少しだけ頑張ると、その頑張った分が何回も何回も積み重なって、気が付くとかなりの差になります。止めてしまったらそこで終わりですが、継続すると違いが出てくるかもしれません。

続けていくということは、自分の可能性を信じると言う事です。自分で自分の可能性を諦めてはいけません。

ある程度、続けてみて、ダメだったらその時に諦めても遅くないような気がします。初めからできないと諦めてしまうのは、もったいないと言っているのです。

2023-3-23 法話「上手くいかなかった時に」

 

2023-3-23 法話「上手くいかなかった時に」

 順風満帆、物事が上手くいっているときは、特に気にすること無く過ごしていますが、何か躓いて自分の思い通りに事が進まなかったときに、人は悩みます。

 そして、その時にどの様に行動するかで、その人の地金が見えてきたりします。

 他人のせいにして、自分は悪く無いとするのか?

 もう諦めたと、逃げ出すのか?

 落ち込んでしまって何も手につかなくなるのか?

 踏みとどまって、躓いた点を見つめ直して、もう一度、歩み出すのか?

 修行の成果が問われるのかも知れません。

 少林寺拳法の修行を通して、一歩を踏み出す力を養っていけたらと思います。

 2023-3-9 自信が持てない(法話)

 

 2023-3-9 自信が持てない(法話)

職場で相談を受けました。

「思うように上手くできなくて、自信が持てません」

「落ち込んでしまいます」

傾聴した後、アドバイスとして話をしました。

振り返りをして、出来なかった事を反省しているのですね。

で、反省して落ち込んでしまっているのですね。

反省するのは良いことだと思います。

ただ、出来なかった点だけに注目するばかりでは無く

出来た点も上げてみたらどうでしょう?

一つや二つ、上手く出来た点も、きっと有るはずです。

出来なかった事を反省した後は、出来た事も挙げてみてください。

自分の成長した点が発見できると思います。

いっぺんに出来る人は、ほとんどいません。

千里の道も一歩からと言うではないですか。

「明鏡止水 武のKAMIWAZA」 遅くなりましたが、感想

金的膝受波返

2023-3-1 午後11時〜 NHK総合 「明鏡止水 武のKAMIWAZA」第8回(最終回)護身の拳 遅くなりましたが感想です。

 少林寺拳法が外部からはどの様に認識されているのかが、垣間見られたような気がします。

 当然こちらが伝えたい内容は、番組制作サイドには提示しているでしょうが、番組を編集するにあたっては、プロデューサーなど外部の視点が入いります。

 「護身の拳」であることが強調されていました。外部からも、その様に認識されているのでしょう。

 今回は、「金的膝受波返」がKAMIWAZAとして取り上げられていました。初段までに習う技ではありますが、なかなか難しい技術だとは思います。しかし、頻回に修練しているかと問われれば、そんなにやってないかも?となります。

 少林寺拳法を修練している内部からはなかなか分からないですが、確かに、他の武道で下段を蹴ってきたのを膝受けしてそのまま蹴り返すなどの技術は少ないのかもしれません。

 柔法も取り上げられていましたが、インパクトとしては、井上先生のキレキレの剛法の動きが際立っていたように思います。(その様に編集しているのだと思いますが)

 MCの岡田准一さんも、「受ける時に、点では無く線で受けていて、まるで剣の様に受けているのですね」と解説していました。

以下はNHKの番組紹介ページの内容です

護身の拳

武術の達人たちが集結し、熱いトークと秘伝の技を披露する。MCは自身も武術の心得がある岡田准一と、今回はタカアンドトシのトシ。少林寺拳法とムエタイの神髄!

実は日本生まれの護身武道!少林寺拳法▽急所蹴りを撃墜して急所を蹴り返す!恐るべきKAMIWAZA▽立ち技最強!?ムエタイの蹴りと首相撲▽谷まりあが少林寺拳法の護身術でせいやを制圧?▽古式ムエタイの鉄壁防御の謎の合言葉は「ポン・ピ・プ・パ」▽防具付きで本気で打ち合うからこそ生まれる少林寺拳法の多彩な応用技▽岡田准一がムエタイ講座で驚きの蹴り速射連撃!

2023-2-2 「少林寺拳法で学ぶ」について

 NHK総合 水曜日午後11時から放送されている「明鏡止水 武のKAMIWAZA」という番組があります。興味深く、面白く、毎週、楽しみに視聴しています。

 俳優の岡田准一さんと芸人のケンドーコバヤシさんがキャスターとなって、一流の武術家たちが集結し、熱いトークと秘伝の技を披露する、かなりマニアックな番組です。

 以前から非定期にBSで放送されていた番組がNHK総合で再編成されて放送中です。

 「明鏡止水(めいきょうしすい」とは、邪念がなく、澄み切って落ち着いた心の形容。「明鏡」は一点の曇りもない鏡のこと。「止水」は止まって、静かにたたえている水のこと。

 平常心で清々しい心持ちと言う意味になるでしょうか?

 さて、この番組で紹介される古武術、武道、出演する武術家、武道家の方々は、素晴らしい技術や考え方を持っています。殺傷術から始まった武術を洗練させ、精神修養の域まで高めて修行を行っています。まさに「明鏡止水の心持ち」なのだと思います。

 ここで少し立ち止まって考察です。

 ”これら武術、武道と少林寺拳法の違いは何処にあるのでしょうか?”

 違いは、”少林寺拳法は「宗門の行」である。”と説明されています。

 武術、武道は、「武術、武道」を学ぶことによって、精神修養になります。としています。しかし、精神修養に繋がるかどうかは、個人の取り組み方によって違う方向にすすむかもしれません。

 少林寺拳法は、「少林寺拳法」で学んでいきます。「少林寺拳法」はあくまで手段です。目的は「少林寺拳法の技術」を学ぶことではありません。少林寺拳法の目的は「人づくり」です。「自己確立」「自他共楽」を目指し「少林寺拳法」を使って修行していきます。この点を説明できない限り違いを説明できたことにならないと思います。

 

 いずれにしても、指導者がこの点を抑えて指導しないと、少林寺拳法の独自性、ユニークな点が失われしまうのではないかと思います。