仏教とは何でしょうか? 仏教の世界観「どの様に生きるか?」

仏教とは何でしょうか? 仏教の世界観「どの様に生きるか?」

 仏教の世界観は、「諸行無常」と「諸法無我」の言葉に集約されます。「世の中は、変化し続けていて、更に相互に作用し合っている」という事です。

 「諸行無常」は、「世の中のありとあらゆる物は、移り変わっていくものである」という事です。絶対に変化しない物は無いと言う事です。動かないと思う大地も地球の地殻変動で大山脈になったり、海底に沈んだりします。空に瞬く星も誕生から消滅まで何百億年と長いですが終わりが訪れます。変わっていないと思える自分の体も新陳代謝によって自分を構成する物質は、数ヶ月で総て入れ替わってしまっているようです。昨日の自分と今日の自分、明日の自分は、構成する物質が違っています。記憶によって同じ自分であると認識しているだけです。つまり、仏教では、「諸行」総ての物は「無常」常に同じであることは無いと世の中を捉えています。

 もう一つ、「諸法無我」は、「総ての理(ことわり)は、相互に関係し合っている」という事です。独立して存在している物は無いと言う事です。リンゴが目の前にあるとします。このリンゴは農家の方が手塩にかけて育ててくれたのかも知れません。果樹園からここに運ばれるまでには運搬する人、市場の人、お店の人、買ってきた人など沢山の人が関わっています。リンゴの実がなるためにも、土や肥料、水、お日様、気候など様々な要因が作用しています。自分が今あるのも家族が居て、友達との関係、先生や先輩からのアドバイス、地域の文化や伝統、気候風土などからも何かしら影響を受けて、自分が成り立っています。つまり、仏教では「諸法」総ての事柄は、「無我」自分一人で完結していることは無くて、相互作用の結果であると世の中を捉えています。

 仏教では、「諸行無常」と「諸法無我」の働きを「縁起の法則」として説明しています。「因」とは、「原因」であり、「縁」とは「ゆかり」のことです。「一つの結果には、必ずそうなるべき原因に、そうならさせた縁由が加わって、そうした結果が生まれる。」単純に、原因と結果が直結してある訳では無いという事です。「縁」は、「原因」を助けて結果を生じさせる間接的な力と言うべきものです。

 「諸行無常」と「諸法無我」に「涅槃寂静」を加えて、仏教の三法印と言います。更に「一切皆苦」を加えて四法印と言う事もあります。仏教の教えである証としてこの三法印または四法印が説かれています。

 金剛禅 少年読本 22ページ 「釈尊の正しい教え」には、次のように上記を説明してあります。

以下転記———( )内は感想を追記——-

 釈尊の正しい教えとは何でしょうか。

 釈尊のいた時代も今も、世の中は、苦しいことや悲しいことで満ちあふれています。少しぐらい楽しくても、すぐに何かの問題にぶつかり、迷うことばかりです。(「一切皆苦」の説明かな)そんな不安な自分ではなく、安心できる自分になり、喜びあふれた幸せな毎日を送るにはどうすればよいのでしょうか。(「涅槃寂静」のためにはどうしたらよいか?との問ですね)

 釈尊は、そのためには、人間としての正しい行いをして、心の迷いを取り除き、自分の中にある素晴らしい可能性に目覚め、自分を拠り所とできる身心共にたくましい人間になることであると解きました。(四諦と八正道のことですね)これが、釈尊の自己確立の教えです。(自灯明、法灯明 金剛禅の「自己確立」の説明)

 さらに釈尊は、この宇宙のすべてがかかわりながら変化し続けているいう法則に気づきました。(「諸行無常」と「諸法無我」)そして、この世界は一人では生きていけないものであり、たくさんの人たちと力を合わせて、お互いにに仲良く生きていくものであることを説きました。(金剛禅の「自他共楽」の説明)

————————————————————

短い文章の中で、四法印が説明され、実践方法である「四諦」と「八正道」にも触れています。

仏教は、生きていく上で出会う悩みをどの様に解決して、より良い人生を生きるか?

「どの様に生きるか?」の問いかけですね。

いいね!>> いいね! 0人