2021-10-5 法話 「勘について」
対象:一般
剛法の修練中に、「突きが来るか?蹴りが来るか?右か?左か? なかなか分からないんだよね」と話題が上がりました。
それに対して「勘が大事なんだよ」と声がありました。
「勘と言われても、どうやったら身につくの?」
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「勘」は、漠然としたものでは無く、経験の積み重ねによって身についてきます。
何となく物事を見ているだけでは、「勘」は働きません。物事を意識して見ることによって、少しづつ身についてくるものです。
最近は、AIが様々な所に取り入れられていますが、AIに学習させることで的確に判断が出来るようになってきます。AIに何万回、何十万回もの「問」と「答え」を入力して、その中から共通事項などを学習させ、今までにない新しい「問」を入力しても、自動的に回答してくれる様になってきます。回答の精度を上げるには、更に気の遠くなるような「問」と「答え」を入力して学習させていきます。AIがどの様な道筋で答えを導き出しているかは、AIを設計した者も分からないそうです。
「勘」も同じ様に、何故、その様に判断したのかを正確に答えることは、なかなか難しいのではないでしょうか?ただ、言えることは、意識して物事を見て、判断した知識の積み重ねが「第六感」として、いざという時に「勘」が働くのではないでしょうか?
仕事でも何でも、新人には、「勘」は働きようはありません。それは「当てずっぽう」と言われるだけです。段々経験を積んでくると、「あの人の勘は当たるぞ」などと言われるようになったりしますが、それは、その人の経験と知識の積み重ねの結果と言えるでしょう。
意識して行うか?何となく過ごすかでは、時間が経過すると、大きな違いになって現れてきます。