他の失敗を喜ぶ心理を考察

他の失敗を喜ぶ心理を考察

 他の団体の話しなのですが、子供が他の人が失敗したのを、自分なら失敗しないと、失敗したことをはやし立て喜んでいたそうです。これをどの様に指導したら良いやら?という相談です。

  他の失敗を喜ぶ心理を考えると、多分、他人と自分を比べて優位に立ちたいのだと思います。自分の自信の無さの表れだと考えられます。もしかしたら、失敗すると怒られているのかもしれません。他人と比べての優劣だけの価値判断となっているのかもしれません。

 しかし、その基準でいくと、その裏返しで自分の失敗は絶対認めたくないと思ってしまいます。失敗したことを認めてしまうと自分は価値の無い者になってしまいます。これはかなり苦しい事です。また、これでは自分の成長には結びつきません。失敗しないようにして、確実にできることしかしなくなるでしょう。失敗するかもしれないことは、怖くてチャレンジはできません。

 初めてやることを一度も失敗しないでできたら天才です。人から学ぶ必要はありません。自分一人で独学で進んでいってもらえれば良いと思います。しかし、普通はそうはいきません。失敗して当たり前です。また、自分では完璧と思っていても他の人から見たら、まだまだな点が多くあると言う事はよくあることです。天狗になっていると見えるものも見えなくなってしまいます。

 上手くなりたいと思ったり、何か身につけたいと思ったら、謙虚に先生や先輩、指導者に自分の欠点を指摘してもらわなければ上達しようがありません。独りよがりや自己満足だけで良いなら、それ以上の発展は無いと思います。

 他の失敗をはやし立て喜ぶような人が、指導するような立場にまで上達するとは思えませんが、仮にその様な立場になっても、誰も付いてきてくれないでしょうね。指導するには、失敗を指摘するだけでなく、それを解決する方法を提示する必要があります。その様なスキルを身につけることができていないでしょうから上手くできるはずはありません。指導者としては失敗となります。

 上手くいったから良くて、失敗したら駄目な奴という価値判断を改めないかぎり、いくら他人の失敗を喜んだらいけないよと指導したり叱ったりしても効果は無いと思います。他人の痛みが分かるような人になりなさいと諭しても、その様な基準が無いのだから改めようが無いでしょう。

 他人(ひと)の助けになり、役立つ人間を育てるのが、金剛禅の少林寺拳法の目的です。その為に少林寺拳法を通して自己研鑽し、自分を高める修行を行っていく。これが金剛禅の宗門の行としての少林寺拳法の在り方です。決して、技が上手いとか段位が上だから偉いなどの価値基準はありません。

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