2022-3-12 法話 「何のために少林寺拳法を修行するのか」

2022-3-12 法話 「何のために少林寺拳法を修行するのか」

対象:小学生、一般

「何のために少林寺拳法を修行するのか」と読本にあります。(少年読本 P26)

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修行の目的は、「自己確立」・「自他共楽」

<前略>

少林寺拳法を通して、自信と勇気と行動力を身につけ、慈悲心(思いやり)と正義感を持った本当に強い人間になる。頼れる自分になることを「自己確立」と言います。

そして、その強さで困っている他の人や苦しんでいる人を助けてあげられ、相手が喜ぶことを、自分の喜びに変えることができることを「自他共楽」と言います。

開祖はわかりやすく「半ばは自己の幸せを、半ばは他人(ひと)の幸せを」という言葉で説明しています。

<中略>

少林寺拳法は強い人が弱い人を助けながら、お互いが幸せに暮らせる社会をつくることを目指しているのです。

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簡単に言うと、自分の事は自分で出来るようにしていく事を「自己確立」と言います。

いつまでも、「お母さん、あれして、これして」と頼ってばかりでなくて、自分でできそうなことは自分の力でやってみる。「できないから、やらない」ではなくて、ちょっと失敗しても良いから、勇気を出してやってみることが大切になります。また、やらなければならないことは、しっかりと取り組む事も必要になります。

そして、「自他共楽」は、例えば、妹が困っていたら、少し助けてあげる。「お兄ちゃん、ありがとう」と言われたら嬉しいでしょう?自分ができる範囲でしてあげられればそれで良いのです。

ここで少し補足ですが、自分はまだまだ「自己確立」なんてできていないから、他人(ひと)の為に何かするなんてとてもできない。または、損得抜きで他人(ひと)の為に何かするなんて、偽善だ。人間なんて、自分の益の為にしか行動しないのではないか?と考えるかもしれません。

その通りかもしれません。そもそも、自分に余裕が無いときは、他人(ひと)の事を気にしている余裕はありません。しかし、自分の事ができるようになって、少し余裕がでてきたら、自分の事ばかりでなく、少し他人(ひと)の為に何かしてあげられたら良いな〜と言うくらいです。初めから完璧に他人(ひと)の為に100%行動できるはずはないと思います。自己中心的な考えだけでなく、他人(ひと)の事も少し考えて行動できる人間を目指していこうという事です。

開祖の「半ばは自己の幸せを、半ばは他人(ひと)の幸せを」と言う言葉は、この様な意味もあるのではないでしょうか?

初めから、完璧にできなくても良いのではないでしょうか?高い理想・目標に向かって、前々修学、一歩一歩、進んでいく事が大切なのではないでしょうか?

鎮魂行などで、「今日の自分は、ここができていなかったな〜」と反省すれば良いのです。

そして少し修正して、少し前進。これが修行なのではないでしょうか?

私も、偉そうに話しをしていますが、初めからこんな事を考えていたわけではありません。何年も修行してきて少しずつ考えるように成ってきただけです。

ごめんなさい。後半、少し難しい話しになってしまいました。

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