2025-1-11 法話 喧嘩の理由
学校で喧嘩をしたとの話を聞いて、お話をしました
喧嘩をするのをダメだとは言いません
ただ、その理由が、どんなものだったのかは振り返る必要があります
喧嘩の理由が、自分中心の「自己中」なものだったら反省すべきです
一方で、不正や理不尽な事に対して怒りを覚え行動に出ることは間違っていないかもしれません
まあ、その行動が必ずしもベストなやり方かどうかは分からないので、後で考えるにしてもです
「不殺活人」「守主攻従」の項目でも学習したと思います
黙って見て見ぬ振りをしたり、無視することが、必ずしも良いとも限りません
必要な時は行動に移すべきです
喧嘩の理由が、「自己中」なものでは無いのですね?
自分のわがままを通すためだったり、自分が気に食わないからだったり・・・
「力愛不二」に当てはまっていますか?
間違ったら絶対ダメだとも言いません
間違ったら、反省して、次に活かしていけば良いのです
*今回は、喧嘩の細かな経緯や理由等は聴いていません
自分で考えてもらう事を主としているので、大人が、どちらが良いとか悪いなどのジャッジなどもしていません
<金剛禅 読本より>
*「不殺活人」人を殺傷せず人を活かす
技を使う場合でも、相手を無意味に傷つけたりせず、暴力から身を護り、相手を制して逆に相手を良い方向に導く
*「守主攻従」防いだ後に反撃する
先ず相手の攻撃から自分を守って、それから攻める 正しい教えを守るため、暴力から身を護るために使用する
*「力愛不二」少林寺拳法の目指す行動原理
愛や慈悲の心から助けてあげたいと思っても、勇気や力、実行力を持っていなければ助けることができない。反対に愛や慈悲が無い力は単なる暴力にすぎない。善悪を見極める力と、力の使い方、立ち向かう勇気が必要
力と愛、理知と慈悲を調和させ、自分の行動規範としていくことが大切である