「先の先」は、「守主攻従」と矛盾しないのか?

「先の先」は、「守主攻従」と矛盾しないのか?

学科学習の際に出された質問です。

「先の先」は、金剛禅読本の第四編、第三章 「先について」100ページの中で説明されている。

「守主攻従」は、同じく第一編、第三章 「少林寺拳法の六つの特徴」51ページで説明されている。

 この疑問は、”少林寺拳法は、人間完成の行(ぎょう)で、人格向上を目指す道である。その精神的理由により、自分から先に仕掛けることは、原則として行うべきではない。”と書いてある一方で、”「先の先」とは、相手が技を掛けようとして、まだ掛けないうちに、機先を制して技を施して勝つ方法です。不意打ちの「先」のような形で。「先々の先」ともいわれています。”と書かれている所から出た疑問のようです。

「先(せん)」とは、少林寺拳法の技を運用する際は、相手より有利な状況になることが大切で「先」を制しなければならい。「先」には、形の面で「対の先」「後の先」「先の先」の三つがある。(三つのタイミングがある)

「対の先」は、両者が攻防の間合いを取って相対しているとき、相手が技を掛けようとしてきた場合に、相手の動きを予知して同時に動き、相手の技が有効に発揮される前に、制してしまうことである。

「後の先」は、相手が攻撃してくるのを待って、これをかわし、あるいは受けて、相手の動きを制する。

「先の先」は、上記のように、相手が技を仕掛ける前に、相手を制する形になります。

この三つのタイミングの「先」を運用するには前提条件があります。「気の先」と言われる物が大切となってきます。

「気の先」とは、相手の意図をくみ取って、相手の攻撃の意思がハッキリとした時点で、相手の動きに先んじて動くという事です。決して、こちらから仕掛けているわけでは無いと言う事が重要です。また、この「気の先」が無ければ、「後の先」や「対の先」も成立しないという事です。

 「後の先」と言っても、相手の動きを見てから、自分が動き始めていては間に合わない。相手の攻撃の意思を早くに察知して防御の態勢を取っておかなければ、護身術の技の成立はおぼつかない。

 決して、こちらから攻撃の意志を持って、先に仕掛けている訳では無いと言う事です。

 ただ、何も知らない第三者からすれば、先に仕掛けているように見えるかも知れませんね。

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